当寺は千手山慈眼院と号し、浄土宗知恩院末にて、今から三百五十年前の 正保二年(一六四五)往誉達道上人により創建されました。

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今月のお話
合掌は仏の姿 合掌は仏の心
親が拝めば子も拝む 後ろ姿の美しさ

初詣でのお参りで、みなさんが、両手を合わせて静かにお祈りする姿は、清く尊いもので

誠に平和そのものを感じます。

掌を合わせた形を合掌(がっしょう)といいますが、仏教では合掌を大変大事にします。

合掌した姿は「感謝」・「懺悔(ざんげ)」を表し、「至誠(しじょう)」を表し、「平和」を表す姿えす。

東南アジアのタイ・インド・スリランカなどの国へ旅された方は経験されたことがあると思いますが、

小さな子供でも、合掌されて挨拶された事があるかと存じます。そんな時、なんとかわいいことか、

なんと清々しいことか、と感激したのは私一人だけではなかったと思います。

無心に合掌した時、人間は仏になるのです。


よくお寺で聞く言葉に「右ほとけ、左凡夫(ぼんぷ)と合わす手の、なかにゆかしき南無の一声」

があります。右手は清浄(しょうじょう)を表すところから仏とし、左手は汚(けが)れたものを吸う

ところから凡夫を表すわけです。その左右の手が合掌して一体となり、仏となるわけです。

手の表のしわとしわを合わすから、幸せになり、手の裏の節と節を合わせると、不幸せになる。

と語呂(ごろ)合わせの話まであります。

これは一概に笑い話として片付けられない所があります。

手を広げた表側は和を表します。私はあなたに敵愾心(てきがいしん)を持っていませんという

意味です。恨みや憎しみなどのない敵愾心のない時は、お互いに正面を向き合います。

しかし、敵愾心があるときは、お互いに背を向けます。

敵愾心を持ったときは必ず手は合掌ではなく、拳(こぶし)を握ります。

仮に合掌して、喧嘩をして御覧なさい。この姿では喧嘩など出来ません。

このように合掌は平和表す姿なのです。つまり、合掌は仏の心=仏心の姿でもあります。


物質文明の中で、私達は一番大事な合掌そのものを、合掌の心を、忘れてしまってはいないで

しょうか。

朝起きて、夜寝るまで、全て合掌の心を以って生きる所に、仏の教えの真理があります。

何事にも自然に合掌を以って南無阿弥陀仏とお念仏によって、生きることの出来る自分に、

精進してみましょう。心が温まりますよ!!心が安りますよ!!

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