お釈迦様の弟子の一人、目蓮尊者が仏道修行のため、瞑想にふけって、後の世の様子を見て
いました。すると、目蓮の母の様子が見えて来ました。それは皮と骨にやせ細り、腹ばっかり
膨れ上がり、爪ばかり伸び、喉は針金の如く細く、それは誠に哀れな姿でした。母親に呼びかけ
ても返事はありません。『み、みず・・・水を・・』母親は、苦しそうに水をほしがります。
水を飲もうとすると炎に変わってしまいます。
目蓮は瞑想を止め、お釈迦様の所に行き、助けを求めました。『目蓮よ、そなたの母上は、なぜ、
そのように苦しむのだろうか。』『それは・・・。あんなに私を愛し、私のために何でもしてくれた母で
したのに、でも、私がお坊さんになることには、大反対でした。息子はお釈迦様にだまされたと、
全てのお弟子を憎んでいました。・・・』『それは、母親の愚かな愛です。正しいものを憎む、逆さま
な愛です。母の愛は深い。そなたへの深い愛ゆえに迷うのだ。』『お釈迦様、母の迷いをさまして
下さい。苦しみを除いて下さい。』
『迷いを覚ますには、教えをよりどころとするのです。とらわれない心を持つのです。幸い、この
十五日は修行者が九十日の修行を終える日です。目蓮よ、この日、全ての修行者にその徳を称
え、清らかな飲食を施すがよい。そうすれば、母は救われよう。そして目蓮よ。修行者にお願いす
るのです。皆さんの清らかな心を、逆さまの愛に悩む、全ての人々に施してくださいと。とらわれの
ない心で、憎しみあう人々のために、祈ってください』
清らかな、とらわれのない心を称えることこそ、亡き父母や親族の逆さまの迷いと苦しみを取り
除く道であることをお釈迦様は説かれたのであります。これがお盆の由来です。
お盆を抑えるにあたり、家族そろって、お盆の意味を知り、報恩感謝の真心の心を体得しま
しょう。