当寺は千手山慈眼院と号し、浄土宗知恩院末にて、今から三百五十年前の 正保二年(一六四五)往誉達道上人により創建されました。

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今月のお話
孟蘭盆会
お参りの尊さを体感しよう

2005/6/15更新

お釈迦様の弟子の一人、目蓮尊者が仏道修行のため、瞑想にふけって、後の世の様子を見て

いました。すると、目蓮の母の様子が見えて来ました。それは皮と骨にやせ細り、腹ばっかり

膨れ上がり、爪ばかり伸び、喉は針金の如く細く、それは誠に哀れな姿でした。母親に呼びかけ

ても返事はありません。『み、みず・・・水を・・』母親は、苦しそうに水をほしがります。

水を飲もうとすると炎に変わってしまいます。

 目蓮は瞑想を止め、お釈迦様の所に行き、助けを求めました。『目蓮よ、そなたの母上は、なぜ、

そのように苦しむのだろうか。』『それは・・・。あんなに私を愛し、私のために何でもしてくれた母で

したのに、でも、私がお坊さんになることには、大反対でした。息子はお釈迦様にだまされたと、

全てのお弟子を憎んでいました。・・・』『それは、母親の愚かな愛です。正しいものを憎む、逆さま

な愛です。母の愛は深い。そなたへの深い愛ゆえに迷うのだ。』『お釈迦様、母の迷いをさまして

下さい。苦しみを除いて下さい。』

 『迷いを覚ますには、教えをよりどころとするのです。とらわれない心を持つのです。幸い、この

十五日は修行者が九十日の修行を終える日です。目蓮よ、この日、全ての修行者にその徳を称

え、清らかな飲食を施すがよい。そうすれば、母は救われよう。そして目蓮よ。修行者にお願いす

るのです。皆さんの清らかな心を、逆さまの愛に悩む、全ての人々に施してくださいと。とらわれの

ない心で、憎しみあう人々のために、祈ってください』

 清らかな、とらわれのない心を称えることこそ、亡き父母や親族の逆さまの迷いと苦しみを取り

除く道であることをお釈迦様は説かれたのであります。これがお盆の由来です。

 お盆を抑えるにあたり、家族そろって、お盆の意味を知り、報恩感謝の真心の心を体得しま

しょう。

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